プロフィール
1978年(昭和53年)、市房千年杉が林立する霊峰「市房山」の麓である森林率90%以上の熊本県水上村湯山地区に生まれる。
中学卒業まで両親・弟・祖父母・柴犬という温かい家庭環境と、“玄関出れば10歩で川、後ろを振り返れば里山”という豊かな自然環境のもとで育つ。両親が勤め人でもあったことから、根っからの“じいちゃん・ばあちゃんっ子”。
その“じいちゃん、ばあちゃん”は長年林業に携わっており、耕運機の荷台に乗せられ山仕事に付き添っていたことを鮮明に記憶。杉や桧の枝打ちや間伐、下草刈りを行う姿を遠巻きに見ながら、山の中での遊びや過ごし方を自然に覚える。
その後、地元高校(人吉高校)へ進学と同時に親元を離れ3年間の寮生活を送る。(家族の暖かさと有り難さを改めて実感。)高校・大学(福岡大学商学部卒)生活を過ごす間に、大事な人との別れが続き、生死感を強烈に意識。働く父母の姿を見て、少しでも生まれ育った故郷の近くで地域や人のためになる職に就きたいと初めて思う。
1年間の就職浪人生活を経て、2002年(平成14年)4月、人吉市役所入庁。教育委員会(学校教育担当)を皮切りに、財政課、企画課、税務課等で勤務。途中、国(内閣官房地域活性化統合事務局)への派遣や人吉球磨広域行政組合(広域観光担当)への出向という経験を通して、地域や組織を違った角度から眺める機会にも恵まれる。
国への派遣後は、地域活性化や地方創生といった仕事に多く携わっていたが、2020年(令和2年)7月豪雨災害が発生。復興部署において被災者の住宅支援や復興まちづくりといった仕事を経て、地方公務員生活20年を一区切りとし、2022年(令和4年)3月末に退職。
公務員生活を通して、「ないものねだりをするのではなく、他人事として考えるのではなく、自分事として地域にあるものを再認識し、光を当て、新しい価値を生み出していくこと」の重要さを我が身で実感。
特に、この人吉球磨地域が持つ森林資源の豊かさと、100年・200年・1000年という時間軸で森林に携わるロマンに触れたことで自らがその実践者になるのだという心が決まる。市役所退職後、「くまもと林業大学校」にて1年間林業全般の知識や技能を学んだのち、合同会社木人舎を設立。
現在に至る。